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本音をいえない!過去のトラウマに気づけた!

COLUMN

コミュニケーションって何?

と聞かれたら

色々な答えがあるはず。

 

聞くことと話すこと、

言葉のやりとり・・

意思疎通・・etc

 

ちなみに辞書で調べると・・

「人間が互いに意思、感情、思考を伝達し合うこと。

言語文字その他、視覚、聴覚に訴える、

身振り、表情、声などの手段によって行う。」

と書いてある。

 

もともと商家に生まれた私は

人の出入りも多く

物心ついたときには

周りにたくさんの大人たちがいて

 

何かしらのコミュニケーションは

とっていたんだと

おぼろげながら記憶している。

 

だから、子供時代は

特別コミュニケーションが苦手とか

人と話すのが嫌だとかはなかった。

 

友達ともすぐに仲良くなれる

と思っていたし、

どちらかといえば積極的に

コミュニケーションをとっていた。

 

周りの評価は、明るいとか

誰とでもうまくやっているとか

だったと思う。

 

それが一変したのは

小学校5年か6年の時。

 

人並みに初恋をした私は

その思いを仲のいい友達に

「絶対内緒だよ」

と釘を刺して「〇〇さんが好きなんだ」

と告白した。よくある話である。

 

今のようにオープンな時代とは違い、

当時はまだまだ女性を好きになる、

というのは恥ずかしい

また、秘め事であった時代。

 

ところが、それから数日経った時

それがクラスじゅうに知れ渡っていた。

 

みんなに囃し立てられ、

冷やかされ、

どうしていいかわからない・・

 

相手の娘にも迷惑をかけた

格好になってしまい、

学校へ行くのが嫌になった。

 

これ以来・・

なかなか人に本音を言えること

ができなくなった・・

本当の想いを伝えるのが怖くなった。

 

以後、相変わらず親友はできても

本当のこと、本音を本音を言えた人は

いなかったかもしれない。

 

もともとなかなか本音を言わない

いや言えないと思っていたが

きっかけがこの出来事だったと気付けたのは

最近のこと。

ただ、それを何十年も続けてきたわけだ。

そしてそのことを特別自分は苦しいとは

思わなかった、いや封印してきたのかもしれない。

なぜならそういうものだと思っていたから。

 

表面的には相変わらず

明るい感じで、人とは接していた。

本音を伝えることに怯えながら。

 

それが、コミュニケーションは

学習と訓練だと聞いた時の衝撃は

計り知れないものがあった。

 

ここから自分の改革と前進が始まった。

学び実践することで少しずつ変わってきた。

 

コミュニケーションは

学習と訓練なんだ。

学び訓練すれば誰でもできるということが

 

わかったからこそ、

自分の本音が言えなかった

トラウマにも気づけたと思う。

これだけでも大きな前進だ。

 

前進したから、

本音を言えるように

なったからこそ

 

息子たちに

素直に謝れたのだと思う。

 

だからと言って

何もかもがうまくいっているわけじゃない。

課題だってまだまだある。

 

コミュニケーションは毎日毎日

誰かしらと取るもの。

そんな実践、学びを繰り返しながら

前進していきたいと感じている。



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