コラムCOLUMN

元々はコミュニケーションがとても苦手だった私自身の学びと体験

COLUMN
コミュニケーションがとても苦手だった代表理事の青木です。
 
私の子供の頃の話をしましょう。
私は福井の敦賀という場所で、
6歳まで育てられました。
 
父は富山の高岡。
花は福井の敦賀。
 
親戚は金沢などにもいて、
まさに純粋の北陸県人ですね。
北陸県人は雪国で冬が長く、
どちらかというと暗めの人が多いと言われています。
(反対にとても粘り強い性格なのです)
 
でも、母方は敦賀の一番にぎやまな商店街で
喫茶店と薬局をやっていました。
 
私も子供の頃はよくそこに母に連れられ、
出入りしていました。
 
商店街は夜遅くまで街灯がついていて、
いつも人通りが多くて、お祭りのようでした。
おまけに、喫茶店には店には人が一杯出入りして、
ワイワイガヤガヤ楽しい雰囲気でした。
 
ところが、私と言えば、
そんな環境の中で育ったくせに、
自分自身を思うように表現できず、
物心ついたころから母親の後ろに隠れているような子供でした。
 
今思えば、子供心に自分の気持ちを「表現」できない、
ということが自分を委縮さえる方向に向かわせたのでしょう。
 
明るい楽しい雰囲気に自分も溶け込み、
自分も楽しみたいという気持ちがあるにもかかわらず、
自分がその中で表現できないそんな子供でした。
 
私は親を逃げ場所にしてしまいました。
しかし、これが小学校に入るとそうはいかなくなるのです。
 
————————————————
 
ここでのテーマは「表現力」です。
 
この私のお話。
私たち大人の社会のあてはまりませんか?
 
自分を思うように表現できない、
自分の気持ちを話しできない、
こんなことで組織や環境の中で委縮してしまうのです。
 
でも私たちは自分の「表現方法」を習ってきたでしょうか?
 
私も6歳までの状態のまま、
学校に入り、
その学校でも「表現方法」を習わないまま、
社会に出ていったようなものです。
 
多くの人は私と同じように
自分の「表現方法」を習わないまま社会に出ていくのです。
 
これは日本人全般に言えることなのです。
 
話し方、聞き方をしっかりと習わないまま
私たちは年齢を重ねていくのです。
 
欧米では自分を表現すること、
コミュニケーションの方法などを子供の頃から習います。
多民族の中で生活だからです。
 
互いに分かり合うことが
必要だからです。
 
日本は長い間、
単一民族の状態でした。
ですから、その必要はないと思っていたのでしょうか?
 
どちらにしろ、
この「表現力」を手にいれることが必要なのです。
 
これを手に入れると、
とても自由で、とても楽しい日々を過ごせるようになるのです。
仲間と自由に語らい、
どんな人とも仲良くなれる、
もちろん、組織や環境の中で委縮することもなくなるでしょう。
 
そんな私自身の学びと体験から、
このコミュニケーション法は生まれました。
 
おかげさまで、
私自身が実践し、
今は本当に楽しい日々を過ごせてます。
 
この質問型コミュニケーションをぜひとも手に入れてください。
なぜならこれは自分の「表現力」をつけるものなのですから。


※当協会の講座や、ここだけの最新情報やコラムの配信をしております。
質問型コミュニケーション協会メールマガジンの登録はこちらから