「やればできるのに」と思ってしまうとき、私たちは何を見落としているのか、という話です。
部下に対して。
子どもに対して。
あるいは、自分自身に対して。
「本気出せばできるでしょ」と、つい思ってしまうことってありませんか。
能力はある。
経験もある。
理解力だってある。
だからこそ、動かない姿を見ると、もどかしくなりますよね。
なんでやらないんだろう、と。
でも今日は、そこに少しだけ違う角度から光を当ててみたいと思います。
①「やればできるのに」は、本当に正しいのか?
よく言われるアドバイスがあります。
「やればできる」
「まずは行動だ」
「気合いが足りない」
どれも、間違っているわけではないと思います。
実際、行動量が成果につながる場面はたくさんあります。
営業でも、勉強でも、筋トレでもそうです。
やらなければ、変わらないのは事実です。
ただ。
その言葉を言われる側の気持ちは、どうでしょうか。
たとえば、テスト前なのに机に向かえない学生。
仕事の資料を作らなきゃいけないのに、なぜかスマホを触ってしまう社会人。
頭では分かっているのです。
やればいいことは、ちゃんと分かっているのです。
だからこそ、「やればできるのに」と言われると、少し苦しくなります。
分かっているのにできない。
それが一番しんどいのです。
②止まっているときには、ちゃんと理由がある
人が止まるときには、止まる理由があります。
これは心理学でいう「動機づけ」の話にも近いです。
ものすごくざっくり言うと、「人は納得していないことには、本気で動けない」ということです。
たとえば、上司から「このやり方でやれ」と言われたとします。
でも自分の中では、「それって本当にベストかな」と違和感がある。
すると、手は動いても、心は乗らないです。
あるいは、目標が数字だけ提示されていて、
「なぜそれを目指すのか」が腹落ちしていない場合。
これも同じです。
・やり方に納得していない
・目標が自分の言葉になっていない
・どこかで怖さがある
・本当は違う方向を向いている
こういった“引っかかり”があると、人は自然とブレーキを踏みます。
怠けているわけではないのです。
ここ、けっこう大事です。
③外から押すほど、固くなることがある
「もっと頑張れ」
「本気出せ」
「行動しろ」
これらは一見、背中を押す言葉に見えます。
でも、人は押されすぎると、逆に固まります。
これを心理学では「リアクタンス」と言います。
ざっくり言うと、「強制されると反発したくなる心の動き」です。
子どもの頃、「勉強しなさい」と言われるほど、やる気がなくなった経験はありませんか。
あれです。
大人になっても、実は同じです。
だからこそ、「やればできるのに」と思う気持ちは分かるのですが、
外側からの圧力だけでは、なかなか動きません。
むしろ、固くなります。
④動かすより、引っかかりを見る
では、どうしたらいいのでしょうか。
私が最近大事だと思っているのは、「動かすこと」よりも「引っかかりを見ること」です。
何が嫌なのか。
何が怖いのか。
どこに違和感があるのか。
本当はどうしたいのか。
たとえば、営業成績が伸びない人がいたとします。
「もっと件数を増やせ」と言う前に、
「何が一番やりづらい?」と聞いてみる。
すると、「断られるのが怖い」と出てくることがあります。
あるいは、「この商品に自信が持てない」とか。
そこが見えた瞬間、対話が始まります。
件数の問題ではなかった。
自信の問題だった。
怖さの問題だった。
ここが噛み合うと、人は驚くほど動きます。
本当に不思議なくらいです。
⑤噛み合うと、人は止まらなくなる
営業でも、育成でも、一番変わる瞬間は「気合いが入ったとき」ではないと私は感じています。
噛み合ったときです。
自分の考えと、やっていることが一致したとき。
納得して動けたとき。
そのとき、人は止まらなくなります。
たとえば、ダイエットでもそうです。
「痩せなきゃ」と義務感でやるよりも、
「健康でいたい」「好きな服を着たい」と腹落ちした瞬間のほうが、続きます。
これは意志の強さというより、方向の問題なのかもしれません。
努力不足ではなく、ズレの問題です。
そう考えると、少し気持ちが楽になりませんか。
⑥もし今、止まっているなら
もし今、「なんか動けない」と感じているなら。
足りないのは、努力ではない可能性があります。
能力でもないかもしれません。
どこかが、まだ噛み合っていないだけです。
自分の中で、何かが引っかかっている。
それを無視して「もっとやれ」と言い続けると、心はどんどん固くなります。
とはいえ、引っかかりを見るのは少し怖いです。
見たくない本音が出てくることもあります。
でも、そこに触れたとき、初めて動き出すことがあります。
ゆっくりでいいのです。
少しずつでいいのです。
自分に問いかけてみてください。
「本当はどうしたい?」と。
⑦というわけで
「やればできるのに」という言葉は、正しいようで、少しだけ乱暴な言葉かもしれません。
できるかどうかよりも、
噛み合っているかどうか。
そこを見るほうが、遠回りのようで近道だと私は思っています。
人は、納得した瞬間に変わります。
無理やりではなく。
自然にです。
というわけで今日は、「やればできるのに」の裏側について書いてみました。
誰かを動かそうとしているときも、
自分が動けないときも。
まずは、引っかかりを見る。
それだけで、景色は少し変わるかもしれません。
焦らなくて大丈夫です。
ズレが整ったとき、人はちゃんと進みます。
私はそう信じています。